イメージはどうやって生まれるか

こんにちは、月兎ありすです。

昨日、脳イメージがどうやって作られるのかについて、の自分の脳機能仮説から繋がって思いついたので、忘れないうちに書いておこうと思います。

実際にはスマホのメモでその時に書き留めました。それをコピーして、貼り付けています。

ところどころ私の仮説が入ってわからないかもしれませんが、全部考えついた時にスマホのメモで書き留めていたので、日付を記載し印刷して家に残してあります。

私は脳に異常があり、学者でも医師でもないため、誰も読まないし認められない。けれど、異常があるからこそこう言った脳の作りを自分の感覚で調べる事もできました。

私の考えた脳機能の作りなら、オスとメスで情報の受け取りをする。全ての細胞に双子が存在し、片方は脳にあり、片方は体にある。

そして、細胞は環境のたくさんの情報を捉えてくれる。

触れた物を感覚で捉えるのはもちろん、見えないもの、気温や湿度や光、音や振動。小さな目に見えない害になる物、良い物など、私達の感覚とは別に、感覚を取り込んで脳に送る。

脳は気づいても、人間の感覚では捉えられない。体調や温度調節などの管理的な部分は、感覚器では必要ないからだ。

イメージはその時に、全体が持つ遺伝子の記憶から作られる。

私の仮説では、脳細胞の双子が保管している外から取り入れた記憶が、視覚や聴覚で捉えた時に反応し、必要な記憶があれば提供してくれる。それが全体でイメージになる。

その中でわかる部分だけをまた手に入れて、私達は理解する。

実はイメージに映像はない。

目を閉じて、自分で作る事でしか作れない。

これは想像のイメージであり、脳の作り出した架空の形。だから、ぼんやりとして形は自分ではっきりさせていくしかない。

はっきりさせるには、部分的分析が必要であり、それは書いて記録して考えるのが一般的。特に複雑なものは想像だけではなく実物が必要。

だから、これは映像とは言えない。

イメージで映像だと感じてしまうのは、過去の回想もイメージに含まれるからだろう。

過去の視覚からの情報は、現実に実在した物を見て記憶するため、ある程度はっきりと思い返せる。

特によく知っている物は、多次元で捉えられる。

私達は、一つ一つのものを個別に記憶しているのではなく、多次元的な人生記憶として記憶している。

だから、周囲の物や生い立ちに関するものは覚えている。しかも、細胞全てで覚えていて、いつでも取り出せる。

もし体の一部が死んでしまっても、脳は生きている。

双子の細胞と通信できなくなるだけ。記憶も増えないけれど保てる。

反対に脳細胞が死ぬと、体の細胞の方も通信できなくなり、使えなくなる。脳でその一部とつながり通信する事で、動かせているのだとわかる。

そして、その個々の脳細胞が動きの記憶を保管しているため、命令を出すと管理している脳機能が必要な細胞に動きを命令する。

これなら、効率的に一つ一つの脳細胞が違う記憶を保管して、動かしている事も説明がつくし、記憶や細胞が一つ壊れても、全体が壊れない事も説明がつく。

イメージが多次元である事も、細胞全体で情報を出しているなら説明がつく。

そして、脳のみに存在するのが、脳の器官と管理器官と感覚器官。脳の器官とは頭全体。

目も鼻も口も耳も喉までも、これは脳の一部と考える。手や足や臓器も、脳ではないけれど脳の関係器官。

つながって触覚とは違う感覚信号を受け取り、脳のみが使いたい独自の動きを作り出す。

だから、多分器官には双子細胞がない。直接管理しているからだと考える。

他の細胞がイメージを作れないのは、決まった動きしかできないから。植物と同じ。

神経細胞という特別な細胞は、形次第で他の細胞と結びついて思考する事ができると考える。

そして、感覚器を管理するのが私達の意識。

私達の意識とは、体の細胞と自分の持つ器官が受け取る感覚を全て受け取り、その体の外側の環境にどう対応するかを判断する、脳の感覚受け取り器官。だから、その体が生まれた時に一緒に生まれる意識。

脳管理機能だけは、この意識とは別のすべての内蔵器官の動きや、遺伝子の情報を理解できる独自の感覚を持つ。

生まれて動かす自分の体を保つため、思考や分析や理解の分担を行っていると考える。

受け取るものは同じ。

思考と分析と理解という脳のみの行動を分担しているだけ。役割が違うのだから当たり前と言えば当たり前になる。

思考とは結局、遺伝情報の組み替え。

思考できる細胞である神経細胞とは、自分の持つ記憶を自由に回想し、つなげる事が可能な余裕を持つ。

過去に見た物や触ったもの、聴いた音など、一緒に手に入れた情報は共感記憶として、目に入ったものが一致した時に一緒に取り出せる。

それだけではなく過去の記憶を追って、その追求したい対象の記憶を色々細かく分析できる。

それは、思考感覚の記憶として保管される。

それを保管するのが、多分本人の長期記憶であり人格の記憶、思考回路の記憶でもある前頭葉ではないかと思われる。

ここには、人格や思考回路などの思考としての記憶を保管して、意識と共に目覚めると常に活動し、判断などを行なっていると考える。

実は脳のこの部分は、無くても生きていける機能。その代わり外と繋がらなくなる。感覚独自の体の外の環境情報を取り込んで、それを思考してより良く生きるための機能であり器官。

これがなくても、脳はない形で体の管理をする。

自由な思考は必要なくなり、動く事も不要になり、栄養が尽きた時点で死ぬ。それは、現在ここまで進化してしまったせいになる。

最初からなければ、動くための体も機能も全て取り払って育てない。

それが脳。

生き物の体の感覚と脳管理を分離して、環境に都合のいい形を自分で選べるようにしたのは、きっと生き物が進化したかったからだろう。体にも脳にもそれが都合がいいと判断された。

この生き物の中で、多分人間は1番の失敗作。

知能を正しく自分のために使えない。

だから、とても進化して、なんとか生き残ろうとたくさんのものを増やした。

安定していれば進化の必要がなかったのだ。

亀などのように長生きし、子供を頻繁に作る事もなく、自由に恐怖もなく害もなく生きるのが、生き物としては1番の成功例だったのだろう。

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