人間の本性

こんにちは、月兎ありすです。

この題材は最近、不安定な状勢が続くせいか、たまに話題になります。

学生の頃も、習った性善説や性悪説を比較して、どちらが本当かと議論した事がありました。

現代は男性的思考が優先される傾向が強く、女性まで男性化してきています。

悪い面だけではないです。女性もこれまで男性が受け持ってきた仕事に憧れて努力したなら、肩を並べて仕事が出来るというチャンスもあり、喜んだ人もいます。

それだけ、これまでの社会が男性は外、女性は内で働くという形が定着し安定していたのでしょう。

問題だったのは、女性が男性に憧れるだけではなく、男性が女性に憧れる事が必要でした。

確かにそれに必要性を感じて実行した人もいますが、女性は大変という声は聞こえても、女性に憧れる人はほとんどいなかった。

それは、女性だけでは生きていけない社会を作られてしまっていたからです。

これが女性も活躍できる社会だったなら、女性の生活に憧れて、生活だけ真似をする男性が増えたでしょう。

でも、実際に男性が女性の生活を真似ると、ヒモと言われたり、ニートと言われたりする。

これが、女性の生活の現実。

そして、女性は子供が産めますが、男性は産めません。だから、ただの働かない人という位置になってしまう。

男性は女性の出産と育児という部分を、なぜか仕事として認識しません。

自分達は体の作りを生かして外の仕事をしたのに、女性が体の作りを利用して、出産と育児に専念する事をよく思わない。

そこに専念すると「子供を産む機械」とある政治家から言われたのを思い出しました。

ならば、男性は自分達の事はなんと呼ぶ?

その上、自分達の補助まで求めてしまっている事に気づくべきです。

同じものではない分、理解の違いが男女のすれ違いを生んでしまったのでしょう。

性別の違いは、実際には子を作る時以外は、全く関係がない。

体の強さもたくさんの動物を見れば、男性ばかりが強いわけではない事がわかります。

最近の世の中の男性的な目というものを、女性は本当のところ煩わしいと感じています。

ある人は、レディファーストと若い女性や目に留まった女性を立てて誘います。

礼儀なら、元々の性質がそういう人であり信頼もできます。

けれど、これが子を作る行為のみを期待して行う一時的なものの場合、自分の存在は逆に軽く見られているという事です。

前者は重宝しますが、最近は後者が当たり前と言う男性が増えました。

簡単になびくと騙されてしまう。そして、実際に騙されて結婚後に泣く人が後を立ちません。

けれど、離婚を決意しても、自分達の立場は悪くなるばかり。

女性が子供を産むためだけに男性を求めると言う形は、結局現代の社会的モラルや教育、そして男性自身が作り出しているのです。

人間の本性とは、本当は平等であり機能性を求め安定を求めます。

ギャンブルも自分を痛めつける行為も、他人を痛めつける行為も、全く望みません。

お金も不要であり、全く執着しません。

なぜ性善説と性悪説があるかと言うと、人間が精神や交流、機能的分析と答えを求めるからです。

そして答えはあれど、その答えの許容範囲にかなりの幅があり、幅があって自由に選べる方が、人間がより豊かになるとわかっていたからでしょう。

だから、より細かい自分の答えを見つけるための議論をする。

ほとんどの動物達が争いを好まず、食物連鎖以外に他の生き物を脅かさないのも、人間の本性が元々そこにあった事を理解できる例になります。

人間の勘違いは、自分達で作った法則を、他者の命より大切にしてしまう事です。

自分達で作った法則が大切なら、自分だけに当てはめて大切にするべき。

他者は他者の価値観があり、それぞれに答えを出すのです。語り合うのは自由でも、命を取り合って行うべきではないと考えます。

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