計算の善と悪

2026.1.8

こんにちは、月兎ありすです。なぜ善と悪という人間の性質が生まれたのかを、今日は考察しました。

善と悪の存在感とは、それを分けて考えられる知能を持つという事です。

生き物はただ生きて生活し、死ぬ時は死にました。

計算とは、いつも脳機能がしていました。

知能というものが、脳機能のみの特権だったからです。

けれど、人間の脳は生き残るために、体の方にも癖という形で生き残る性質をつくりました。

それが、集団生活を基本にして仲間と共に生き残るという能力と、安定のために思考して良い方を自分で選ぶという思考の能力。

これを行うのに、その癖の方にも知能の権利を持たせる事が必要でした。

集団で生活するには、自分だけが生き残るのでは意味がないのです。誰かを仲間と認識する。誰かを敵だと認識する。安定のために、仲間でも個人的分析と分別が必要。仲間の範囲を自分で思考し、それを基準に行動する。

この時に、仲間と敵を分別する事で、善と悪という基準が生まれたと考えます。

脳機能の計算だけなら、生活するだけの計算であり、その中での善は自分を生かす事。悪は自分を脅かす事で良かったのです。

ところが、仲間意識というものができると、行動の基準として自分だけを基準にできない。仲間や敵の分析で、その人達の善悪を、自分の物差しで図る事が必要になります。

そして、仲間や敵もそれぞれ自分の物差しで、善悪を調べるのです。

そうやって集団という形を作った弊害で、同じ人間同士でも、個人利益による仲間意識が分かれるようになりました。

そして、この争いは同じ種族同士で行うという複雑なもの。

種族の繁栄としては、争いをやめるべきになるけれど、お互いの主張は自分の利益が基準。どちらも生き残りを考えた結果の行動。誰が裁いても誰も裁けなくなるのです。

だから、それをなだめるには第三者が公平に計算して、争った当人達の善悪の量を計算し、比べる事が必要になったのです。

これが多分、計算というものに善悪が付いた瞬間です。

天秤と言うものが、ただの物質の重さとバランスを測るだけではなく、心や状況の計算を測るものに使われ始めたと考えます。

そして、そこから人間の性質を追求する事が始まった。

人を秤にかけて正しく裁くには、どうしてもそれをできるだけ公平に裁く基準が必要だったのでしょう。

そして、計算のために善はプラス、悪はマイナスの数値が割り当てられて、差別化されたのです。

善と悪は個人の行動では測れない。どうしても全体的な基準値を定めてからでないと、平等に測れないのです。

だから、現在混沌とした世界が、たくさんの人を不安にさせているのは、この基準が正しくないから、もしくは基準すら作っていないからです。

これが何を意味するか。

実際なら裁かれるはずの人達が、その決定権を握ってしまっていると考えます。

基準が歪んでその決定判断が不公平になってしまうと、得をするのは少数の、その基準に沿って行動している人達のみ。

私が思うには、これが20世紀にかなり歪んでしまったのではないかと考えます。

20世紀の初め、人間は世界大戦を初めて経験しました。それは1950年頃まで続き、人の心を歪めて戦いをした事を肯定させてしまいました。

戦争とはどちらも醜い。実際には被害国が被害者であり、加害国が加害者。これだけが基準のはずで、その二つの国が天秤にかけられて周りが仲裁し、平等に裁き、争いが治まるはず。だから、その他が加担したなら、本当はむしろ最低の悪です。

この被害と加害の基準はとても複雑です。

実際にはただの侵略なら簡単に見分けられますが、世界大戦の頃になると、これまでの歴史なども、貿易や友好関係、裏切りや経済制裁、個人の関係や見えない犯罪行為、差別や情報操作もたくさん理由が存在してしまう。

そして、戦争は当事者同士や加担する意思があって成立します。損得を共にして納得する意思が必要。共に生き、共に死ぬ意思です。

これに他国が損得を共にする意思もなく、自分の国のみの利益のために加担して戦争を起こしてしまうと、被害者も加害者も関係なくなってしまう。

本当なら侵略は加害者の力で、そこだけ力で相手国を奪う。被害国を手に入れる計算ができて行うもの。できなければ手を出して跳ね返されて負けるだけの事。勝つのは強い方であり、負ければ責任も取らされる。

戦争とはそういう行為であり、そこで勝った国が報酬として、負けた国を分配して利益を加担した恩恵として与えたりするものです。

弱いのは大抵被害国。それに他国が他者視点で加担するなら、被害者が守られるべき。けれど、これが他者視点の損得が絡むと歪んでしまうのです。

つまり、発端の国が中心の戦争なのに、他国の方が強ければ、他国が勝手に分配、誰も被害や加害の事を考慮せず、ひたすら戦争したい国が発端を探して手を貸すようになる。

自国の利益のために侵略したければ、裏で手を回してどこかで戦争を起こし、発端にならなければ罪に問われず、常に第三者の都合で勝敗が決まり、その第三者だけが得をする。

この加害者や被害者も、たくさんの国が加担するほど、その国それぞれの都合が語られて、情報が通りやすい国ほど、その都合が優先される。だから、真実が消えてしまう恐れすらあるのです。

ここで実際の善悪を、平等に測るとしましょう。

目に見えてわかる被害者と加害者なら、被害の量や勝敗は実は関係がなく、侵略側が悪です。

ところが、戦争はその枠の外。侵略する事で相手の国を奪う、得をするという特別ルールがまかり通る。

すると、戦争行為とは侵略で枠の外ですから、実は勝った国が戦争や争いを肯定し加害国になり、負けた国は戦争や争いを否定する被害国になる。

本当なら他国が戦争に加担する事に何の得もないし、善を語るなら戦争が終わった時に被害国に支援し、あくまで補助をします。これなら本物の善意で仲間意識。

だから、わざわざ犠牲を作って勝っても、天秤にかけると得がない。これが利益損得と意思の共有です。お金では買えない信頼を取る事が加担国の善意。

日本は戦後、これを行動基準に世界と関わってきました。けれど、これは敗戦国だからこその後悔を表にした行動。ある意味他国の監視行為が良い方向に働き、日本はそれが新しい社会でよりよく生きるための基準だと感じて変わりました。

けれど、世界のほとんどの国は勝者でした。だから、あまり意識が変わっていない。

勝った国はこれまで通り戦争を肯定しました。ほとんどの国が世界大戦誘導という他国侵略を肯定し、罪を裁けなかった。

だからその後に、それを計算に入れる権力者が現れて、これまで保ってきた世界的平等性が壊れてしまったと考えます。

これが、公平な天秤が壊れた理由でしょう。

現代は戦争が否定された時点で、それを計算に入れて行動し続けてしまった戦勝国の一部が、本当の平等な天秤にかけられてしまう事を恐れているのです。

平和に向けて歩み出すと、本物の平等な基準が作られ始める。すると、行動の善悪が覆されてしまう。

世界戦争が終わった時、これを考慮して、絶対に戦争肯定をしてはいけなかった。裁かれるべき人達は、勝った国でも裁かれるべきだった。

それだけの文化と発展があり、世界戦争にまで至ったのに、世界戦争の犯罪という罪を甘く見たのです。

日本は最初に手を出したという部分だけを大きく報道され、被害はほとんど考慮されずに、負けた国として勝った国の影響下に置かれました。

それ以来、最初の被害国からは責められ、なぜか他国から監視され、まだ手放さずに去る気配もない。

被害国が日本を責めるのは仕方のない事としても、さすがに長すぎます。もう攻撃した国も崩壊し、その当事者達は死に、関係のない平和を求める人ばかりなのに。

それでも気が済まないのは、他に理由があるのでしょう。

そして、被害国でもなく日本を拠点にするアメリカは、ただの侵略者です。他の国はそんな事はしていない。

韓国もアメリカも同盟国です。

ほとんどの人達がそう考えているのに、まだ一部が納得できないでいる。

このまま争いをしたいのなら、多分世界の天秤になる基準も変わる事はないでしょう。平等に裁かれる日も来ない。

日本は一つの国として生きる事なく、崩壊するかもしれません。その被害は、誰が責任を取るのでしょうか。

韓国の報復ですか?

アメリカの侵略ですか?

きっと、日本の自滅と報道されるでしょう。

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