こんにちは、月兎ありすです。今回は当たり前なのに当たり前ではなくなっている言葉を再確認分析。
題名の通り「愛」。「LOVE」。
これは、日本では大事にされて、あまり言葉にしません。
大事だからこそ言葉にしない。形にしないのです。
形のないものこそ、そのものだからです。
形にすれば、その枠が決まってしまう。
愛情=セックスと考える愚かな男性が増え、女性にまでその考えが浸透してしまっています。
けれど、この愛情の定義を覆すのは良い事ではない。
肯定もしてはいけません。
学びの少ない人がそれを好むというのなら、自覚を持つためにも、それを肯定してはならないのです。
セックスとは行動です。つまり形があるもの。
愛の中の一部の行動でしかない。むしろ愛があるから肯定できる行為というだけです。証明になる行動。
それは、行為を要求する側ではなく、受け入れる側の愛を試すものになる。
だから、愛と同等と考えてはならないのです。
この場合の肯定できる愛は、受け入れる側がこれを肯定する状況のみ限定。全く信用できない愛になる。
愛=形のない信用である事が、愛の定義。辻褄が合わないので、これは当てはまらない。
そして、学びが少ないからというのも、他の愛を知らないからという事になる。
頭が悪いのではなく、教えてもらっていないだけなのです。
これを悪口として使うのも良くありません。
むしろそこに配慮して言葉を選ぶなら、それこそが「愛」と呼べるものなのです。
自分でも知らずに使っている、自分の気配りや愛情。
これが実際の「愛」です。
いろんなものに当てはまる、人間の善良で純粋な優しさ。
意味が大きすぎるし、大きいほど良いもの。だから、形のないもの。で良いのです。
それを素直に受け取り学べるのであれば、その人は誰がなんと言おうと愛のある人間です。
学びも学歴も関係ない。
学びや学歴を鼻にかけ、人の良心を踏み躙り、自分の行動にも愛を考慮できないのであれば、その人は全く信用できない。
そんな人とお金などの物質で繋がっても、人生は形のない物の方がすり減っていき、物質的な借りだけが増えて、必ず苦痛の毎日を送る事になる。
反対を選べば、今度は形のない者が満たされ、物質的な借りも減る。けれど、物質欲には満たされない。
現在の世の中は、そういうバランスの悪いものになっている。
これを変えていかなければ、人間に未来はないのです。
愛の定義の間違いを強要する相手は、マインドコントロールをしています。
その人も犠牲者かもしれない。
それこそ、そこら辺を頭の良い人達が見抜いてあげなければ、世の中は変わらないでしょう。
宗教を信じて人を救いたい人がいるのなら、自分を犠牲にできるのなら、宗教を流行らせるのではなく、これを教えてあげてほしい。